1st Trip for Korea Railway 2001.07 (2001.07.28)


米原での増結作業。7両連結し、11両の長大編成となる。

この時の旅行は1週間の夏期休暇をどうやって使おうかと頭を悩ませた結果、偶然生まれたものだった。夏期休暇のスケジュールが2週間前に決まったため、飛行機の切符など取れるとは思っていなかったので、福岡経由の韓国行きの日程を決めた。それも、ムーンライト九州の切符が取れなかったということもあって、大垣夜行からひたすら普通列車を乗り継ぐ体力勝負の旅となってしまった。

22時過ぎに品川駅に着いたら、もう行列が出来ており、酒を飲みながら時間を潰す。発車30分前に列車が入線。今は亡き田町区所属の167系8連。無事座席を確保し、隣の男性と意気投合。ボックスシートでは、こういうのがあるからいい。前には中学1年生が乗っている。聞けば、北陸方面まで列車を乗り継いでその日に帰ってくるんだとか。

途中小田原でドアが閉まらなくなり15分遅延。どうにかなると思っていたら、豊橋で5分遅れなので少々不安になる。大垣には2分遅れで到着。接続列車が4両しかないこともあり、「大垣走り」を体験することとなった。

米原でホームに降りたら、目の前のホームから新快速が発車していった。よく考えたら、これに乗れば1時間早く博多に着いたのだ。いまさら遅いが、食事の調達を姫路ですることと割り切り、次の新快速で姫路まで乗車した。姫路駅で「駅そば」を食し、待ち時間40分の合間に駅の商店街を歩き、ドトールでアイスコーヒーと軽食、駅弁を買ってホームに戻る。

 

姫路駅に到着した新快速223系。12両編成で運用。

岡山行きの列車が入線していたので、どうにか席を確保する。足を投げ出していたら、若い女性が座ってきた。土日を使って尾道に旅行に行くようで、何度も瀬戸内には出かけているらしい。方角は同じだし、話し相手がいるにこしたことはないので、尾道まで同じ列車に乗ることに。岡山から三原行快速列車(117系4連)に乗車。1時間くらい話しているうちに、坂の多い尾道の町並みが見えてくる。ここからまた一人旅に戻る。

三原で岩国行き列車に乗り換える。列車は山の中を走り、通称「瀬野八」を越えて広島駅に着いた。広島から岩国までは都市近郊区間を走るのだが、その間を縫って貨物列車が通過。
岩国駅で下関行にまた乗り換える。湘南色の113系4連。廃車前提で下関に追われたのか。

下関口では滅多に見ない113系。それも湘南色。

岩国〜田布施間で同席となった老人と会話。昭和2年生まれで戦時中は学徒動員の経験があり、クラシックカメラが趣味で、定年後は大島商船高専に講師勤務していたとのこと。
「1000トンを越すと配乗人員が15人になるので、たいがいは750トン程度に留めて配乗人員を7人に押さえている」という船に関する話が面白かった。

列車はかつてなじみ深かった町を通り過ぎる。下松駅は案の定寂れていたし、防府駅手前からは専用線の跡を眺めた。小郡で中年の女性と乗り合わせた。広島から宇部まで帰省するとのことで、「どうせ実家で食事が出るから」と飲料・サンドイッチをいただいた。

宇部でダウン症気味の女児を連れた母親と同席した。母親は娘にボールペンを持たせて文字を書かせる。薬袋に書かれている名前と違うので、いぶかしんだところ「選挙活動の一環」とのこと。公明党の体質の一端を垣間見て、気分が悪くなる。

下関・門司と立て続けに乗継ぐ。ホームで保線用の機械を撮影し、快速(811系+813系の7連)に乗車し博多に到着。地下鉄で天神に移動し、大学時代の友人と合流。鶏料理を食べてから、友人の彼女と3人でモツ煮を食べて深夜1時頃まで盛り上がった。

113系の車内。大阪付近の路線図が剥がされず残っていた。

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