国交樹立前の中国向鉄道車輌輸出考
Export Trading to China before
1972
中国向けの鉄道車両(部品)輸出統計については、日本鉄道車両輸出組合報の貿易統計を基にその概要を掴んでいるものの、その中でも 分析が困難であったのが 国交樹立前の中国向鉄道車輌輸出の概要である。 完成品車輌輸出が存在していないのは統計上明らかであるが (そもそも CHINCOM 規制で大型車輌の輸出は事実上できなかった)、1965〜1969年度に若干の輸出契約実績が存在している事実をどう判断するべきであろうか。
国交樹立前の日中貿易について考える場合、「LT貿易覚書」(廖承志と高碕達之助が結んだ民間貿易協定)について調べることが不可欠なのだが、その中では 主な輸出品目が 「鉄鋼製品」 となっている。これ以前の「日中貿易協定」では、「小型機関車」と明記されていたが、実際には CHINCOM 規制と 長崎国旗事件の影響で 輸出がされなかったことを考えると、「鉄鋼製品」枠を使用して 鉄道車輌部品輸出が行われたと考えるのが自然である。
では 「鉄鋼製品」に該当する 鉄道部品としては何が考えられるか。ヒントは 日本鉄道車両輸出組合会員にある。1971年の同組合名簿から、鉄道部品メーカーを抜粋する(=完成品メーカーと商社を除外)。
| 会社名称(当時) | 品目 | 現在 |
| 光洋精工(株) | 軸受 | × |
| 住友金属工業(株) | 輪軸 | ○ |
| 東洋ベアリング(株) | 軸受 | × |
| 日本精工(株) | 軸受 | × |
| 日本エアブレーキ(株) | 軸受 | ○ |
| (株)不二越 | 軸受 | × |
| 富士電機製造(株) | 電機品 | ○ |
| 三菱製鋼(株) | 発条 | × |
| 三菱電機(株) | 電機品 | ○ |
「現在」と記載したのは、同組合より脱退した会社(「×」で記載)が存在するためで、現に 車両用軸受を製造している大手四社は悉く脱退している(日本鉄道車両輸出組合50年小史より)。 今でこそ 鉄道部品輸出の主力は電機品だが(VVVF制御装置用部品、インバーター等)、1960年代は 輪軸・軸受が中心であったと考えるべきである。
どこの会社からどういうものが輸出されたかを 特定する作業というのは困難である。当時の貿易統計は 輸出契約額と 完成品車輌数のみであって、品目別内訳は存在していない。さらに、国交樹立前ということもあって、当時の貿易状況を社史でも明るみにしている会社は数少ない(社史は 結局のところ「語られる歴史」であって、それを客観的に実証するためには様々な補強資料を要する)。
とはいえ、当時の中国は 1950年代の中ソ国境紛争を契機に国家関係が急激に悪化していたのは拭い難い事実であり、また製鉄業そのものに大きな課題を抱えていた。それはいわゆる「大躍進政策」の失敗によるものと言えるのだが、そうした時代背景を考慮する必要がある。また、そのような中で 鉄道路線整備を急激に進めていったものの、車輌を作ろうにも 台車用の特殊鋼が用立てられなかったのが主な要因ではないかと考えている。
ただし、別の見方も存在する。
車両製造用の通常鋼板輸出という線も拭い難い。というのも、前述した通り、1960年代の中国は「大躍進政策」の影響で、製銑能力のみに特化したために、製鋼・圧延能力が著しく低下していたからで、特殊鋼以前の問題で通常鋼すら満足に生産できていない可能性はある。また、当時の中国向輸出が鉄鋼製品主体であったということは、なにも台車関係部品というのではなく、車体・台枠用通常鋼板という可能性が強いのではないか。日本鉄道車両輸出組合には、住友金属工業を除き製鉄業は加盟していないが、商社はおおむね加盟している。また、時代背景を考えると 製鉄業自身 日本の景気変動を海外向け輸出でカバーする方向へ転じたのが1960年代である。
ただし、当時の中国は「政経不可分」という踏み絵を迫ったために 大手商社は自社名義ではなく、「友好商社」と指定された日中専門商社 (資本関係を敢えて外したケースもあれば、独立系など様々)経由で貿易を実施していたために、この線も考えづらい。そうなると、やはり当初の考察通り 台車用特殊鋼を輸入したと考えるべきという結論に至った。そうなると、輸出企業は 軸受・輪軸に絞られるために 会社もある程度特定できる。 ところが、各社社史を通読する限り、その事実を明確に記したものは存在しない。これは、国交樹立前の日中貿易そのものが 一種の「黒歴史」となっており、 「存在しない」国相手に貿易をしていたことを記載するに憚られる事情があったのだろう。
それでも、それを伺わせる記述は 日本精工、光洋精工両社史に存在する。 日本精工社史では 1970〜1971年において西欧・中国向輸出高が増加したこと、光洋精工社史では 国交樹立後 鉄道車両用の軸受製造設備を中国(瓦房店)向けに輸出したことが記載されている。 特に後者は ルーマニア向製造設備輸出 という一大プロジェクトが存在したことから、そうした事象を推測するに至った。
自分自身は YZ31型硬座車の存在が鍵であると考えていた。 ただし 製造時期と 輸出契約時期との間に若干齟齬が生じているので それが気がかりであったが、たまたま 中国台車関係の技術論文 「我国鉄路客車転向架技術発展概述(待続)」にYZ31用 203台車の製造時期の記述があった。 この時期(1965〜1972)こそ、日本から中国に向けて 戦後初の鉄道部品輸出契約が締結された時期である。
(この項 随時更新予定)
【参考文献】 都度更新予定
2011.09.23 by Shibata Taro (2011.11.30 updated)